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2014年9月8日月曜日

噂話と女子トイレ

女とは、恐ろしい生き物である。
 私が中学生の頃の実体験だ。休み時間にトイレに行き、用を足し終え、鏡の前で身だしなみのチェックを行っていたところに、A子ちゃんがやってきた。彼女はそのまま奥の個室へと入っていき、その後すぐに2人組がやってきたと思ったらその片割れがおもむろに言い出したのだ。
「Aってさ、正直鬱陶しくない? 絡みが」
 なんという大事故だろうかと、背筋の凍る思いだった。もう片方が「わかるー!」などとこれまた暢気に言うものだからますます居心地が悪い。無関係の私ですらそうなのだから、当のA子ちゃんの心中は穏やかではなかっただろう。そのまま2人は鏡の前(私の隣)で昨夜のテレビの話やらどこの誰が誰それと付き合っているらしいやらと話し始めたので、私はA子ちゃんが出てきて修羅場になる前にと退散した。その後、当事者3人が何食わぬ顔でおしゃべりをしている姿を目撃して驚愕したのだが、そこはおいておき、この事故で何が問題かといえば2人組が「噂話(陰口が噂話に入るのかという疑問も今回はおいておく)をしにトイレにやってきた」という点である。
 そもそも、トイレとは用を足し、身だしなみ等のチェックをする場である。断じておしゃべりをするための場ではない。にもかかわらず、あの2人組はやってきたし、他の女の子も「噂話のついでのトイレ」とでも言うかのようにトイレ内でおしゃべりをしていく。周りの何人かの男性に尋ね回ったところ、男子トイレではこのような事故は起こらないらしい。いったい女子トイレの何がそうさせるのか。
 告解室、というものがある。告解部屋、告白部屋などともいう。
 告解とは、キリスト教の儀礼のひとつ。司祭のもとで自分の犯した罪を告白し、ゆるしを願うことで神からのゆるしが与えられるというしるしである。現在のカトリック世界では「ゆるし」と、わかりやすい言い方をすることが多い。この秘蹟(儀礼は、カトリックでは「秘蹟(サクラメント)」、正教では「機密」と呼ばれている。)に必要な行為は「痛悔(犯した罪を悔やむこと)」「司祭への罪の告白」「償いを果たす決意およびその実行」の3つ。告解室はゆるしの秘蹟を行う部屋のことで、伝統的には聖堂に設けられている。告白を聞く司祭の席(部屋)とゆるしを求める人の席(部屋)に 区切られ、その中にはひざまずき台があり、司祭と告白者の間は格子で仕切られている。
 区切られた狭い部屋、薄暗いに違いない。まるでトイレのようだ。罪の告白などそうやすやすとできる事ではないだろう。ましてや神の御前である。宗教に馴染みのない日本人の感覚から察することは難しいが、少なくとも「小学生の頃に友人宅をピンポンダッシュしていたのは自分だ」というような笑いながら言える内容ではないだろう。しかし、告解室では司祭相手に告白がなされている。これは狭さからくる安心感のためではないかと考える。自分と崇拝する神とその従事者である司祭しかいない狭い空間。第三者に一切気取られる心配のない中で、だから安心して罪の告白ができるのではないか。女子トイレ内も、個室が並んでいる。中の人の顔など見えない(見えたら大問題だ)。場所にもよるが基本的にトイレの手洗い場は狭い。一緒に入ってきたのは気の置けない友人だ。これらの条件が、不特定多数に聞かれているかもしれないということを忘れさせてしまうほどに、私たちを安心させるのだ。
 また、居酒屋では個室が人気だ。『ぐるなび』の検索ワード欄に「駅近 個室」と入力した経験のある方も多いはず。知らない誰かと数十センチ隣に座して呑むよりは、身内しかいない状態の方が格段に落ち着く。たとえ自分たちの話など周りの誰も聞いていないにしても、だ。「落ち着く」とはつまり「安心する」ということ。思い返してみれば個室での飲み会は暴露話が多かったように思う。
 もう一点、噂話ときて忘れてはならないのが「井戸端会議」だ。
 井戸端会議とは公園、学校、玄関先など、最近では実にさまざまな場所でご夫人方が繰り広げているあれだ。その起源は思いのほか古く、ここにトイレと噂話とを結びつけるものを見つけた。
 江戸時代、下水が整備され始め、町には井戸が設置された。一般的には地下水を井戸で汲み上げて使用しており、武家屋敷や大店など、金銭的に余裕のある家では敷地内に自家用の井戸を掘っていたが、長屋では数軒が共同で井戸を使用することが普通だった。ここで生活用水を汲み上げ、家庭に持って帰ることは当時の女性たちの重要な仕事であった。ご飯時や行水など、水が必要な時間帯はどこも差はないはずなので、水汲みの順番待ちが発生し、自然と人が集まるだろうことは容易に想像が可能だ。共同井戸の文化はその後大正時代まで続いていたという。
 井戸端会議の『井戸』とはそのまま『井戸』であり、つまり水場である。そう、トイレも水場だ。また、男子トイレでは噂話がなされず、女子トイレでは日常茶飯事である点も、江戸時代からの女性の習慣が根付いていたせいだと考えると納得がいく。また、古来より文明は河川のそばで発生してきた。メソポタミア文明然り、エジプト文明然り。人はどうしても水場に集まってしまうのだ。
 水場といえば、世のOLはどうやら給湯室で噂話をしているらしい。試しに「給湯室 噂話」と検索してみると、多くの事例を見る事ができる。内容はどうやら陰口が多くを占めているようであるが、やはり女子はどこにいっても水回りで噂話をするのだ。
 切っても切れない関係の「噂話」と「女子トイレ」。今後も女子は喜々としてトイレで噂話に花を咲かせることは間違いない。せめて、冒頭のような事故が起こらない事を願うばかりである。

参考サイト
■『Laudate(ラウダーテ)
■『神々の故郷とその神話・伝承を求めて
  内『13.キリスト教の祭りと行事』
■『平成の今、井戸のある暮らし
■『江戸時代の不動産、住宅事情を知ると現代が見える

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